鈴木善人翁

鈴木善人翁(善之助)の足跡

後に、「生国信州小諸」と言われる鈴木善人翁は、十四世本因坊秀和門下、囲碁五段、東京牛込の人である。
尾州徳川家囲碁指南役であった翁は文久3年(1863)妻子を伴い来信、後に小諸に居を定め「囲碁以外その心を動かすに足らざる」と清貧に安んじさらに棋道に励み、多くの門生も育成、その名は天下に聞こえた。
翁の門生、有志者は明治27年(1894)小諸町の名士でもあった翁の66歳を記念し、 鈴木翁之壽碑を光岳寺に建立した。しかし翁は明治32年(1899)1月30日、71歳の生涯を閉じ同寺に手厚く葬られた。
明治39年(1906)信濃毎日新聞は鈴木翁を囲碁の師として直接交誼があった木村熊二小諸義塾塾長の証言を得て、翁を信州の奇傑伝の一人に選んだ。
鈴木翁とその門生達によって展開された囲碁の舞台は、北は長野市から上田、小諸を中心に、南は佐久市、佐久穂町、小海町まで及んでいた。

参考図書「小諸繁盛記」明治38年発行
(一般社団法人 小諸フィルムコミッション ホームページより引用)

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